御書 日蓮大聖人と創価学会

日蓮大聖人の御書は、創価学会によって、仏法を実践する上で、唯一最高の糧であり指南書であるとされています。

9月度座談会御書の講義 持妙法華問答抄

平成29年(2017年)9月度の座談会御書の講義・研鑽は「持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)」です。

本抄では「『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ」と仰せです。

この「持つ(たもつ)」とは、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり(御書・四条金吾殿御返事:1,136ページ)」と仰せのように、成仏には欠かせない勇気ある実践のことです。

それは、学会活動における広布拡大の実践であり、妙法を根本に永遠の幸福境涯の確立を目指す唯一の道であります。

このことを、9月度座談会御書の持妙法華問答抄に学んで参りましょう。

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本書(持妙法華問答抄)について

「持妙法華問答抄」は、その題号の通り、「妙法華(妙法蓮華経)」を「持つ」ところにこそ、一切衆生の成仏の道があることを「問答」の形式で教えられた御書です。弘長3年(1263年)の伊豆流罪赦免の直後に著された等と伝えられていますが、御執筆年、宛先を含め、定かではありません。

本抄は、五つの問答から構成されており、法華経の修行のあり方について問う第5の問答では、妙法への「信」が大切であることを確認されています。

また「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465ページ)と、法華経という法が勝れているゆえに、その法を持つ人もまた勝れているのであり、法華経の行者を謗る罪の大きさは計り知れないと述べられます。

さらに名聞名利に執着することなく、法華経を信じて妙法を自らも唱え、他にも勧めていくべきことを教えて本抄を結ばれます。この最後の部分が、今回の拝読御文になります。

持妙法華問答抄の拝読御文

「寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき(御書全集:467ページ16行目から18行目)」

持妙法華問答抄の通解

久遠の仏の住む永遠の仏国土でないのであれば、それがどこであろうと皆、苦しみの世界にちがいない。生命本来の覚りの境地を離れて、何が楽しみとなるだろうか。願わくは「現世は安らかであり、来世には良いところに生まれる」と仰せの妙法を持つこと、それのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。是非とも全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるが良い。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)について

日蓮大聖人は、「寂光の都」「本覚の栖」を離れて真実の幸福、楽しみはないと述べられています。

「寂光の都」とは、久遠の仏が住む清浄な国土のことです。また、「本覚の栖」とは、久遠の仏の覚りの境地を意味します。この境地は、本来、あらゆる生命に具わっています。

法華経以外の権大乗経には、阿弥陀仏などの仏が登場しますが、それは現実を離れた、別の国土に住むとされた仏です。ゆえに、そうした仏に救いを求めようとすれば、苦悩の現実を離れてその仏の国土に行くしかありません。

これに対して、法華経如来寿量品の仏は、この娑婆世界(=苦悩が充満している人間社会)で説法教化し続けると説かれています。どこか別の場所に仏国土を求めるのではなく、この娑婆世界の中に出現して教えを説き続けることが明かされているのです。

「苦悩に満ちた現実世界」が、そのまま「寂光土」に――これが、「娑婆即寂光」の法理です。

「御義口伝」に、「此を去って彼に行くには非ざるなり(中略)今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(御書781ページ)と示されています。

苦難、苦悩を避けることなく、自身に本来具わっている仏の生命を開いて、今いる場所を

「寂光の都」に変えていく。そのための直道が「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧ん」(同467ページ)という実践なのです。

「現世安穏・後生善処(げんぜあんのん・ごしょうぜんしょ)」について

「現世安穏・後生善処」とは法華経薬草喩品第5の文です。法華経を信受すれば、現世は安らかであり、来世には善い所に生まれるとの意味です。

法華経の説法の会座ではここに至るまでに、最も尊貴な仏の生命があらゆる人々に具わっているという教えが述べられ、それを聞いた舎利弗や迦葉らの弟子が釈尊の教えの真意を理解します。続く薬草喩品で釈尊が、弟子たちの理解した妙法の功徳の偉大さを示します。「現世安穏・後生善処」は、この中の一節です。

私たちの仏法における安穏は、生活、人生の上で波風が立たない平穏なことをいうのではありません。一生成仏を目指す仏道修行の過程にあって競い起こる三障四魔、三類の強敵を乗り越える確固たる自身を築く中にあります。

日蓮大聖人は「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(御書1143ページ)と仰せです。また御書には「所詮法華経を弘むるを以て現世安穏・後生善処と申すなり」(825ページ)と示されています。妙法根本に広布に進むこと自体が、「現世安穏・後生善処」の証しなのです。

妙法を持ち広布の実践を貫く中で、永遠にわたる安穏の境涯が確立されることを心に刻みましょう。

自行化他(じぎょうけた)について

日蓮大聖人は本抄の結びで“全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるがよい。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである”(御書467ページ、通解)と述べられ、「自行化他」の実践が大切であることを示されています。

「自行」とは、自分自身が妙法の利益を得るための修行であり、具体的には勤行(=読経・唱題)です。

これは、私たち自身の生命に、大聖人と同じ智慧と力を現すための実践であり、大聖人の仏の生命が顕された御本尊を信心根本に拝していくことで、大聖人と同じ仏の境涯をわが身に開くことができます。

「化他」とは、周囲の人に正しい信心を勧める折伏・弘教です。広宣流布のために、私たちが励んでいる学会活動も、この化他に入ります。

大聖人は「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同1022ページ)と教えられています。

自ら題目を唱えるとともに、人々の幸福を祈り、対話を重ねていく――この行動の積み重ねの中でこそ、自身の胸中に揺るぎない仏の境涯が築かれるのであり、“今世に人間として生まれてきた最高の思い出”を刻むことができるのです。

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相手の幸せ願う真心を伝えること(池田先生の指針から)

日蓮大聖人は、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と仰せになっている。自行化他の信心に励み、人びとの幸せを願い、仏法を教え、友を励ましていく。それこそが、今生人界の思い出となると言われているのだ。

人間として生まれ、正法に巡り合えたからこそ、広宣流布の大偉業に連なり、人びとに仏法を語って、地涌の菩薩の使命を果たしゆくことができる。そう自覚するならば、学会活動に参加できることに、無上の喜びを感じざるを得まい。

そして、どれだけの人に法を説き、発心を促し、人材を育てていくか――そこに人生の最高の充実があり、それは、そのまま永遠不滅の光を放つ生命の財宝となるのだ。

(以上、2016・2・27付、小説『新・人間革命』常楽48より)

妙法をどれだけ弘めたか。その歴史は、後になるほど光る。

人生、いろいろな思い出があるが、折伏が何よりの金の思い出となる。積極的に行動し、交流することだ。それが折伏に通ずる。

御聖訓に「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同467ページ)と仰せの通りだ。生命の法則に則った無上の行為であり、永遠不滅の思い出である。

(以上、12・2・5付、「名誉会長と共に 今日も広布へ」より)

友人と真剣な対話を重ねても、感情的に反発されたり、なかなか仏法を理解してもらえないと悩む友もいるだろう。(中略)たとえ、思うような結果が出なくとも、くよくよする必要は全くない。

私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのか――その繰り返しだった。

誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇をかんだ悔しさ、悲しさも、今は懐かしい。

「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同467ページ)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。

(以上、『随筆 対話の大道』より)

※ 池田先生の指針の参考文献:2017年5月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」37ページ~39ページ(聖教新聞社

7月度座談会御書の講義 乙御前御消息

平成29年(2017年)7月度の座談会御書は「乙御前御消息(おとごぜんごしょうそく)」です。拝読範囲冒頭の「いよいよ強盛の御志あるべし」こそ、日蓮大聖人の仏法における信心の根本姿勢です。そして、そこにこそ学会精神があります。

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本書(乙御前御消息)について

本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。

乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。

本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。

蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。

乙御前御消息の拝読御文

『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり(御書全集1221ページ4行目~6行目より引用)』

乙御前御消息の通解

ますます信心を強盛にしていきなさい。氷は水からできますが、水よりもいっそう冷たいものです。青い色は藍という草から生まれますが、重ねて染めると藍よりも色が鮮やかになります。同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益もはっきりとあらわれてくるのです。

「志をかさぬれば」について

拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。

「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。

藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。

大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。

これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。

法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。

本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、“今から、これから”という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。

御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。

後継の人材を育む ということについて

「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、“教えを受けた人が教えた人より優れること”です。

南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を“後継者の成長”の例えとして用いられています。

時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。

「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)

ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。

時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。

“後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう”――これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。

日妙聖人 とは

日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。

その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。

乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。

さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。

乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。

また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。

乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。

持続の信心で崩れざる境涯を(池田先生の指針から)

信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。

濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)

大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。

(以上、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻より)

「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。

いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)

信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。

同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。

このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。

ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。

例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。

このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。

(以上も、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻より)

参考文献:『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社

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6月度座談会御書の講義 弥三郎殿御返事

平成29年(2017年)6月度の座談会御書は「弥三郎殿御返事(やさぶろうどのごへんじ)」です。広布の使命を果たすべき正念場に立たされた「弥三郎殿」に対し、ただひとえに思い切りなさい!「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」とのご指南をされています。

妙法を根本に「決めて、祈って、行動」することが勝利の方程式です。その一念にこそ、諸仏が入り、仏の家来である諸菩薩・諸天等が従って、法華経の行者を守護することは間違いありません。

「勝つ!と決める」信心、「全力を尽くす」信心について学んで参ります。

 

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本書(弥三郎殿御返事)について

本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。

弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。

本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。

初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。

次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。

最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。

弥三郎殿御返事の拝読御文

『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり(御書全集1451ページ10行目~12行目より引用)』

弥三郎殿御返事の通解

ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、今この時こそ勢多川を渡す所だと思い切りなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負の所である。

諸仏の「入其身」と悪鬼入其身について

日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。

ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。

「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智?や権力者の身に入ると述べられています。

これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。

池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ」

『ここぞ』という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。

▼講義の要点 参考サイト▼
弥三郎殿御返事 6月度座談会御書の講義|但偏に思い切るべし

瀬田川宇治川(「勢多」とは)

今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。

瀬田川宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。

例えば、寿永3年(1184年)、源範頼源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。

この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。

この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。

また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。

このように瀬田川宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。

日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。

「今年の世間を鏡とせよ」とは

拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれた建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。

すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。

疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建治4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。

『去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまったり、また、病にはかからなかった者も、心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる”(同1389ページ、趣旨)』と。

疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。

また飢饉についても、同抄には次のように記されています。

『日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉が進み、衣食は全くなくなり、畜類を食べ尽くした”(同ページ、趣旨)』と。

当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。

日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。

大変な戦いこそ宿命転換の好機(池田先生の指針から)

重大なる法戦――広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。

「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」――

思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。

戸田先生は言われました。

「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」

長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。

私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻より)

大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。

そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。

そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。

私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。

「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。

大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)

※ 池田先生の指針の参考文献:『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻(聖教新聞社

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勝利の経典「御書」に学ぶ(13) 上野殿御返事(梵帝御計事) 弥三郎殿御返事 兵衛志殿御返事( [ 池田大作 ]

南無妙法蓮華経の唱題の意味するものは?

南無妙法蓮華経はお題目と言われ、このお題目を唱える(唱題という)ことで功徳が得られると言われます。

ここでは、お題目を唱えることで功徳が得られる「仕組み」について解説すると共に、そもそも南無妙法蓮華経とは「何か?」、そして、唱題によって得られる功徳の本質について述べて参ります。

妙法蓮華経法華経という経典で、インドに生誕した仏教の始祖・釈尊が説いた教えです。仏教はインドから中国を経て日本に伝えられました。外国の教えです。故に、元来、法華経の文字や発音についても法華経(ほけきょう)ではなかったことになりますが、ここではその点には触れません。

南無(なむ)とは、帰命、あるいは帰依するという意味です。故に。南無妙法蓮華経は、法華経の正式名称である妙法蓮華経に南無が冠された言葉であり、仏教が日本に伝えられる以前から、その名目(名前)は存在しており、日本で日蓮大聖人が普及する以前から存在する言葉でもありました。

南無妙法蓮華経の実体について

民衆の根本的な苦悩の解決のために出家した釈尊がたどり着いた境地は、宇宙根源の法(ほう)を自身の生命の中に発見し、これが万人にも具わっていることを覚知したことです。

この宇宙根源の法をもって、民衆救済を開始した釈尊が晩年に説いた教えが法華経です。法華経の中で初めて、「宇宙根源の法」の存在とこれによって自身が覚りを得た(仏陀になった)ことがあかされます。

しかし、その根源の法の実体や名目については、釈尊滅後、末法(まっぽう)という悪世になってから現世に出現する「地涌の菩薩(じゆのぼさつ)」に全て託されて、明らかにはされませんでした。

釈尊の在世、及び、末法に至るまでの、正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)時代の世の中の民衆の機根(きこん:仏法をうけいれる素地・能力・釈尊との縁)は、「宇宙根源の法」によらずとも覚りに至れる機根であったのです。

釈尊の説いた数々の教えは、教えを受け入れる民衆にふさわしいものが説かれ、その内容には浅深がありました。仏法は民衆救済を目的に存在します。故に、その時々(時代)に、教えとその教えにふさわしい民衆が存在するという原理があるのです。

末法に至り、「宇宙根源の法」をもってするほかに、民衆を救済できない時代となりました。ここに出現したのが日蓮大聖人です。大聖人は、釈尊と同様に、宇宙根源の法をご自身の生命の中に覚知され、その名前が「南無妙法蓮華経」であると共に、根源の法の実体そのものであることを明かされました。

妙法蓮華経に単に「南無」が冠されたものではけしてなく、滅後末法の一大事であり、一大発見であったと言える点が重要です。

故に、今、南無妙法蓮華経のお題目を唱えるということは、「宇宙根源の法」に迫り、その音声は瞬時にして全宇宙に轟きわたるという意義が実在のものとして存在するということでもあるのです。

南無妙法蓮華経の功徳について

一般に「功徳」というと、ありがたく善き事を意味しますが、世の中には悪い事と良いことが常に同居しています。この真実を踏まえる時、功徳には「悪を滅して善を生じる」という意義があることを知らなければなりません。

仏法における善とは最極の善である「仏の覚りの境地(仏界)」であり、悪とは、根本的な三つの煩悩(ぼんのう)から発する、貪り(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろか)の境地といえます。

南無妙法蓮華経を信じて、お題目を唱える時、仏界の境地が生命の中から湧き出でて悪を滅していくのです。

日蓮大聖人の覚知された「宇宙根源の法」は御自身にも万人にも元来具わっている、とはいえ、これは、現実に顕さなければ何の意味もありません。

理不尽なことをされれば、これまで平穏であった心には俄かに「怒り」が生じます。良い傾向の「心」もまた、同様に、縁(えん:きっかけ)があってはじめて現実に顕れてきます。

そして、「仏の覚りの境地(仏界)」もまた「縁」によって顕れるものであり、その縁となるのが、唯一、「南無妙法蓮華経を信じてお題目を唱える」ことである、ということです。

故に、南無妙法蓮華経の功徳の本質とは、「仏の覚りの境地(仏界)」を湧現できること、と言うことができます。

【関連リンク】:南無妙法蓮華経の意味と功徳 の詳細な記述。

南無妙法蓮華経の唱え方(祈り方)について

「仏の覚りの境地(仏界)」から発する言葉に「如我等無異(にょがとうむい)」というものがあります。「我が如く等しくして異なること無からしめん」と読みます。釈尊が長遠な過去に立てた誓願は、仏である自身と等しい境地に衆生を導くことにあるということです。

南無妙法蓮華経のお題目を唱える時、それは、なんらかの課題や悩みの解決に向かって、南無妙法蓮華経の功徳を信じながら、「祈り」唱えていく時です。つまり、「仏の覚りの境地(仏界)」の存在を信じながら唱えていくということです。

悩む自分自身のみならず、他の人をも救っていく境地に同化していこうとの祈りになっているということなのです。

末法に入て(いって) 今日蓮が唱る(となう る)所の題目は 前代に異り 自行化他(じぎょう けた)に亘りて(わた りて)南無妙法蓮華経なり(三大秘法禀承事:御書 1,022ページより引用)」

生命を変革しゆく為の具体的な信仰実践の根本は「信・行・学」に尽くされます。信とは、信仰の対象を信じること、行とは、経典の読誦やお題目などを実践すること、学とは、仏法を学んでいくことです。

そして、日蓮大聖人は、「行」には、「自行(じぎょう)」と「化他(けた)」の両面があって、車の両輪のように、どちらが欠けても修行は完成しないと仰せなのです。

つまり、本当に功徳のある南無妙法蓮華経の唱え方、祈り方とは、自分も他人も共に幸福になっていこうとの決意と実践の伴ったものであるべきだ、ということです。

現実問題として、世の中の不幸を見逃して、自分だけの本当の幸福はありえません。

自他共の幸福のなかにこそ本当の幸福(新人間革命 大山1より引用)

日蓮大聖人は叫ばれた。「我が弟子等・大願ををこせ」(御書一五六一ページ)、「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)と。そして「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(同二六五ページ)と予見された。一閻浮提とは世界である。

世界広宣流布の実現へ、われら創価の同志は、まっしぐらに突き進む。“私に連なるすべての人を幸せに!”家族、親戚、友人、近隣、地域、職場……。人は、人の絆のなかで育まれ、成長し、学び合い、助け合って真実の人間となる。ゆえに、自分一人だけの幸せはない。自他共の幸福のなかにこそ、本当の幸福もある。

南無妙法蓮華経と初めに唱えたのはいつ?誰?の参考資料

釈尊法華経28品の説法以降から存在するといわれる「南無妙法蓮華経」について、これを「誰がいつ」唱え始めたのかに関する関連資料(リンク先)のご案内です。

歴史上最初に「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えたのは誰ですか?また、いつごろでしょうか?

歴史上はじめて南無妙法蓮華経を唱えたのは、天台大師になります。天台大師の撰述である『法華三味懺儀』には、「一心奉請南無妙法蓮華経(中略)一心奉請南無妙法蓮華経」とあります。

歴史上最初に「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えたのは誰ですか?

日蓮大聖人と私 月水御書(方便寿量読誦事)

修禅寺相伝私注には、天台の毎日行法の日記の「読誦し奉る、一切経の惣要(そうよう)毎日一万反」の文を引用し、玄師の伝に「一切経の惣要とは妙法蓮華経の五字なり」という口伝を挙げている。

日蓮大聖人と私 月水御書(方便寿量読誦事)第七章 修行の要諦を教える

天台三大部に題目の記載の有無は?

修禅寺決:「天台大師・毎日行法日記に云く、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍」

天台三大部に題目の記載の有無

5月度座談会御書の講義 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

平成29年(2017年)5月度の座談会御書は「四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)」で別名が「法華経兵法事(ほけきょうへいほうのこと)」です。

法華経の兵法とは強盛な信心のことです。しかし「臆病にては叶うべからず」と仰せのとおり、強盛な信心とは「勇気」の心であり、勇気こそ勝利の要諦となります。そして、「臆病の心を打ち破る」強盛な信心があってこそ、妙法の功力を現すことができるのです。故に、この信心を貫くならば、「仏法に行き詰まりはない」のであります。

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本書(四条金吾殿御返事)について

本抄は、鎌倉の門下の中心的存在であった四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされています。本抄の内容から別名を「法華経兵法事」ともいいます。

文永11年(1274年)、日蓮大聖人が流罪地の佐渡から帰還された後、金吾は決意に燃えて主君の江間氏を折伏しました。

江間氏は、大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は次第に主君から疎まれるようになり、かねて金吾をねたんでいた同僚たちからの圧迫も激しくなりました。

さらに建治3年(1277年)には、鎌倉での桑ケ谷問答を巡る良観らの画策によって、主君から法華経の信仰を捨てるよう迫られました。

しかし、金吾は大聖人の御指導通り、忍耐強く主君への誠実を貫きました。

やがて主君の信頼を回復し、弘安元年(1278年)には以前の3倍の領地を受け取るなど、勝利の実証を示していきました。

そうした状況の中で金吾は、金吾をねたむ勢力からの襲撃を受けました。本抄は、“敵に襲われたが、難を脱した”との報告に対する御返事です。

四条金吾殿御返事の拝読御文

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候(御書全集1,192ページ15行目~1,193ページ2行目より引用)

祈りを根本に(信心の根本)

私たちは、自身の生活上の課題について、ともすると自分の力や経験で何とかできると考えたり、信心とは別の事柄と捉えて、御本尊への祈りと生活を切り離して考えることがあるかもしれません。

しかし、日蓮大聖人は、生活のあらゆる場面にあって、祈りを根本に置くべきことを教えられています。

今回の拝読御文も、その一つです。この仰せは、武士であった四条金吾に対しての御指導ですから、「兵法」「兵法剣形の大事」等と表現されています。

そもそも「兵法」とは、戦いに際しての兵の配置や動かし方、具体的な戦闘の方法、あるいは剣術などの武術を指す言葉です。

これは広く言えば、“仕事や生活の上での具体的方策”に当たります。

拝読御文では、そうした方策を生み出す根本は、全て妙法に具わっていることを示されて、生活にあっても、さまざまな手段や方策を根本のよりどころとするのではなく、御本尊への祈りを根本として、その上に、あらゆる方策・手段を用いていくよう教えられています。

もちろん、具体的な工夫・努力を軽んじてもよいということではありません。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との仰せは、根本の信心を忘れて策や方法ばかりにとらわれることを戒められているのです。

真剣な祈りを根本に、仕事や生活でも、広布の活動においても最大の努力をし、智慧を発揮していくことが、「法華経の兵法」の極意なのです。

「臆病にては叶うべからず」との仰せについて

拝読御文に「臆病にては叶うべからず」とあります。日蓮大聖人は、臆病であっては何事も叶わない、ゆえに信心を奮い起こしていくよう、教えられています。別の門下に宛てたお手紙の中でも、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)と仰せになるなど、大聖人は、信心を奮い起こしての勇気ある実践を繰り返し教えられています。

なぜ臆病ではいけないのか――。大聖人は、譬喩を用いて分かりやすく教えてくださっています。

「御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし」(同1138ページ)――祈りが叶わないのは、ちょうど弓が強いのに絃(=弓に張る糸)が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである、と。

強い弓であっても絃が弱くては、的を射ることはできません。強い弓や太刀、剣が、法華経そのものを譬えています。

いかに法華経に功力があっても、それを引き出すのは、どこまでも法華経を信ずる私たちの勇敢な信心の姿勢にあるのです。

内薫外護(ないくんげご)とは

日蓮大聖人は本抄で、四条金吾が敵を撃退できた時の具体的な「剣形」(剣術の形)は、諸天善神の一つである「摩利支天」が与えたものであると教えられています。

こうした諸天善神の守護の働きを説明するのが、「内薫外護」の法理です。

あらゆる衆生に内在する仏性が開き現れ、生命に「薫習」して覚りを生じていく力になることを「内薫」といい、この内薫の力が迷いの衆生を護り助ける働きになることを「外護」といいます。薫習とは、香をたくことにより衣服に、その香りが染み移るように、あるものの性が他のものに移ることです。

私たちの実践に即して言えば、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることで、内なる仏性の力が現れ出ることが「内薫」であり、それに応じて、一切衆生の仏性が外から起こす守護の働きが「外護」です。この「外護」が、諸天善神の働きです。

大聖人は、摩利支天の働きをもたらした根本は、大聖人が金吾に授けた妙法蓮華経の五字の力にほかならないと示されています。

諸天善神の守護を確信して、法華経の肝要である南無妙法蓮華経を強盛に信じ持つことが大切なのです。

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仏法に行き詰まりはない|池田先生の指針から

「心」がどうかで、一切は決まるのです。

「心」には、無明に覆われた心と、無明を打ち払って妙法の当体として輝く心とがあります。

無明に覆われた心は、悪から悪へ、不幸から不幸へと流転して止みません。生死の苦悩は、いよいよ深まっていかざるをえない。

それに対して、妙法の当体として輝く心は、悪から善へと変革する力を持ち、善から善へと確かな軌道を上昇する心です。(中略)

心には不可思議な力がある。心一つで、一切が変わっていきます。その心の力を現す修行が、自行化他にわたる唱題です。

大聖人は「心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う」(御書564ページ)と仰せになりました。

この心の力を発揮していくことが、人生と生命の勝利の要諦である。これこそが「法華経の兵法」にほかならないのです。

(以上、『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻より)

法華経の兵法」とは、どこまでも御本尊根本に、大確信の祈りで、あふれてくる智慧と勇気で、無明と戦い、宿命を破り、絶対勝利する信心のことです。

いかなる時も、宇宙根源の法である妙法に基づく時、絶対に行き詰まることはありません。一切の敵を必ず打ち破ることのできる絶対無敵の功力があるのです。

「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」(法華経600ページ)――この薬王品の経文は、法華経を受持し、弘通する福徳が、いかに偉大であるかを示した一節です。

すなわち、妙法を受持し、弘通する功徳によって、成仏を妨げるあらゆる魔軍を打ち破ることができる――これが「法華経の兵法」の力であると。

ゆえに戦いに勝ち、生命を守るための「兵法剣形」の真髄も、実は「法華経の兵法」にあるのです。

私たちが健康になり、生きがいに満ち、地域・社会で信頼の実証を勝ち開いていく――そのあらゆる努力、工夫、挑戦の根本こそが「法華経の兵法」すなわち「強盛なる信心」なのです。(同上より)

四条金吾殿御返事の参考文献など

  • 『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻、「四条金吾殿御返事」(聖教新聞社
  • 『御書と師弟』第1巻、「法華経の兵法」㊤㊦(同)

4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」

本抄は、鎌倉の中心的門下・四条金吾に送られたお手紙で、弘安2年(1279年)の御述作とされています。本抄の内容から、別名を「法華経兵法事」「剣形書」ともいいます。

4月度「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」 | 女子部「御書池田大学運動」 | 仏法を学ぶ | 創価学会青年部サイト SOKA YOUTH web

9月度「四条金吾殿御返事」

9月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事」を研鑽。広布と人生に勝利するための「法華経の兵法」を学ぶ。

9月度「四条金吾殿御返事」 | 男子部「御書活」研鑽 | 仏法を学ぶ | 創価学会青年部サイト SOKA YOUTH web

四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

四条金吾殿御返事(法華経兵法事)第一章 金吾の存命を喜びその理由を明かす、以降の記述。

四条金吾殿御返事(法華経兵法事) : 創価教学研究室 (Tommyのブログ)

四条金吾殿御返事・法華経兵法事

さきごろ強敵と争いあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見しました。  それにしても、以前から、あなたは敵人にねらわれていたでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命されたことは、このうえなくめでたいことである。以降の記述。

四条金吾殿御返事・法華経兵法事 | 未来を拓く青年(きみ)よ

日蓮大聖人と私 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

これにつけても、いよいよ強盛(ごうじょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず。以降の記述。

日蓮大聖人と私 四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

4月度座談会御書の講義 立正安国論

平成29年(2017年)4月度の座談会拝読御書は「立正安国論」です。同じく、4月度の御書講義の拝読御書も立正安国論ですが、拝読範囲は異なります。

座談会御書では、「民衆の幸福と社会の繁栄の実現へ」・「一人一人の胸中に人間主義の哲学を」をテーマに研鑽して参ります。

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本書(立正安国論)について

本書は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。

当時、日本では、飢餓、疫病、地震、気象の異常など、災難が相次いでいました。本書を御執筆された動機は、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」です。大聖人は、こうした災難の原因を諸経典に照らして洞察され、その根源に国を挙げての謗法、すなわち正法に背いている事実があることを究明されました。

題号の「立正安国」は、「正を立て、国を安んず」と読みます。大聖人は、国土の平和を実現するためには、根源の悪である謗法を断ち切り、人々の心に正法を打ち立てる以外にないと、本書を著され、時の最高権力者に提出されたのです。

本書で大聖人は、災難の元凶として、当時、特に隆盛を誇っていた念仏を強く破折されています。そして、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。

2017年4月度座談会向け編集:立正安国論の講義内容

立正安国論の拝読御文

汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん(御書全集:32ページ14行目から16行目より引用)

立正安国

日蓮大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」の中で示されました。

「立正安国」の「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。

「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。

立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より深く、民衆の生活の基盤として捉えられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。

大聖人が民衆を中心に国を捉えられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「?」の字を用いられていることからも、うかがうことができます。

立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。

大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを身をもって示されたものと拝察できます。

創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で行動しているのも、「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。

「実乗の一善」

「実乗の一善」とは、一人一人が帰依すべき正法を示しています。

「実乗」とは法華経であり、「一善」とは「唯一の善」「根本の善」という意味です。すなわち、人間に真の幸福をもたらす妙法こそが根本の善の教えであり、「実乗の一善」です。

妙法は、“一切衆生は本来、仏なり”と教える、最高の人間尊重の大法です。仏法は、全ての人に絶対の尊厳性と限りない可能性を見いだす“人間主義の哲学”にほかなりません。

池田先生は述べています。

「いわば、『実乗の一善に帰せよ』とは、『偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ』『エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ』『真実の人間主義に立脚せよ』との指南といってよい」

「実乗の一善」とは、広げて言えば“仏法に基づく人間主義”ということができます。これこそ、人々の幸福と社会の繁栄を実現しゆく普遍の哲理なのです。

大聖人の弘教の根本目的

日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。

幕府や既成の宗教勢力からの大聖人に対する迫害が本格化するのは、「立正安国論」の提出が契機でした。法然の念仏を強く破折する「立正安国論」の提出からほどなく、念仏者たちが、鎌倉の大聖人の草庵を襲うという松葉ケ谷の法難が起きました。

さらに、翌・弘長元年(1261年)の伊豆流罪など、命の危険にさらされる迫害を受けても、立正安国を願う大聖人の御覚悟が揺らぐことはありませんでした。

大聖人は「立正安国論」で「自界叛逆難」「他国侵逼難」を予言されています。大聖人は、この二難が決して現実のものとならないように、権力者を諫め続けられましたが、用いられることはなく、文永8年(1271年)には、竜の口の法難、佐渡流罪に遭われます。この流罪のさなかに、「自界叛逆難」が二月騒動(北条時輔の乱)として的中。赦免直後には、「他国侵逼難」が蒙古の襲来によって現実のものとなります。

大聖人が御入滅の直前、弘安5年(1282年)9月に武蔵国池上(東京都大田区池上)で最後に講義されたのも、「立正安国論」でした。このように、大聖人の御生涯は「立正安国論」を中心に展開しました。立正安国の実現こそ、大聖人の弘教の根本目的だったのです。

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池田先生の指針から 生命尊厳の理念が脈打つ世界に

心を変革して、いかなる理念に基づいていくべきなのか。大聖人は、それを「実乗の一善」と仰せです。

「実乗の一善」とは、法華経の根本善ということであり、すべての民衆が、それぞれ自身に具わっている仏性を開いて成仏することができるという法理です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻)

「立正」とは、まず、一人の人間の心の次元の変革にかかわります。自身に内在する「根本善」に目覚め、胸中に法華経の「人間尊敬」「生命尊厳」の哲理を確立し、生き方の根底の哲学とすることです。この目覚めた人の行動によってこそ、法華経の哲理は、社会を支え、動かす原理として確立されていくのです。

そして、社会に平和の精神基盤を築くことが「立正」の肝要である以上、生命尊厳のため、平和のために、志を同じくする人々や団体と共に立ち上がるのは当然です。決して排他的なものではありません。

何よりも大事なのは「立正」を貫く一人ひとりを育てることです。一人の「立正」の人が立ち上がることで、周囲を善の方向へ、平和の方向へと変革していくことができます。そうした使命を担う師子王の如き人材を輩出することが「立正」の帰結なのです。

また、立正安国の「国」とは、民衆が住む国土のことであり、私たちが目指す安国とは、仏国土を実現して民衆のための安穏の国土を建設することです。(中略)

「安国」の本義は、国家主義の対極にあり、世界に広々と開かれたものです。それと共に、「安国」とは、未来にも開かれています。仏国、すなわち仏の国土とは、「一閻浮提」に及び、永続するものだからです。

「仏国」とは、「生命尊厳」「人間尊敬」という仏法の精神が生き生きと脈打つ社会であり、自他共の幸福の実現という思想が重んじられる世界のことです。(同)

立正安国論拝読の参考文献

  • 『勝利の経典「御書」に学ぶ』第22巻(聖教新聞社
  • 池田大作全集』第25・26巻(同)
  • 『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために――立正安国論』(同)
  • 『現代語訳 立正安国論』(同)
  • 『御書の世界』第1巻、「立正安国」㊤㊦(同)
  • 小説『新・人間革命』第4巻、「立正安国」の章(同)

4月度御書講義の御書 立正安国論

4月度(2017年|平成29年)の「御書講義」の拝読御書は「立正安国論」です。御書講義の拝読範囲は「主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り雀変じて蛤と為る~汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐をいのらん者か」(御書全集31ページ7行目~18行目、編年体御書169ページ5行目~17行目)です。対話の力で安穏な社会の建設を目指して参りましょう。

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立正安国論の背景

立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、39歳の時、時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」です。

「諫暁」には、仏法者の立場から相手の誤りを指摘して、正しい道に導く、との意義が込められています。

本書の宛先は、直接は北条時頼ですが、広くいえば社会の指導者全般であると拝することができます。さらに主権在民の現代にあっては、主権者たる「国民一人一人」が「国主」であり、本書の精神を訴えていくべき対象となります。

当時は、大地震・大風・洪水などの自然災害が相次ぎ、深刻な飢饉を招き、加えて疫病の流行などが毎年のように続き、人心は乱れ、民衆は苦悩の底にありました。中でも、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が、本書の執筆を決意された直接の動機となりました。

2017年4月度座談会での立正安国論の講義内容

立正安国論の大意

「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。具体的には、人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味です。

本書は、相次ぐ災難による災禍を嘆く客の言葉から始まり、それに対して主人が、“災いの原因は、人々が正法に背き悪法を信じていることにある”と述べるところから対話が開始されます。

主人は災厄の元凶として、当時、隆盛を誇っていた念仏を強く破折され、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書24ページ)と、謗法への布施を止めて正法に帰依するならば、平和楽土の実現は間違いないと断じられます。

さらに、このまま謗法の教えに執着していくならば、経典に説かれる七難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(外国からの侵略)の二難が競い起こってくることを警告し、実乗の一善(妙法)に帰依するよう、促されています。

最後に客は、謗法の教えを捨てて妙法に帰依することを誓います。この誓いの言葉が、そのまま本書全体の結論となっています。

10問9答の「問答形式」 心つかむ納得の語らいを

立正安国論」は客(=北条時頼を想定)と主人(=日蓮大聖人を想定)の10問9答の「問答形式」で展開され、誤った教えに執着する客に対して、主人は理路整然と真実を説き示していきます。

冒頭は「旅客来りて嘆いて曰く……」(御書17ページ)と、天変地異や飢饉、疫病など、相次ぐ災難を嘆く客の言葉から始まります。これに対して、「主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤?す客来って共に嘆く?談話を致さん」(同ページ)と、主人も同じ悩みを共有していたことを明かします。

主人は悠然と、時には相手をなだめ、時には毅然たる態度で、「文証」「理証」「現証」の上から、客の誤った考え方を諭していきます。それに対し、「客色を作して曰く」(同20ページ)、「客猶憤りて曰く」(同21ページ)と、客は感情を高ぶらせて主人を批判します。

日本浄土宗の開祖・法然を尊崇する客に対し、主人が「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(同24ページ)と言うと、「客殊に色を作して曰く」(同ページ)と、客の怒りは頂点に達し、席を立とうとします。

その時に、主人は「咲み止めて曰く」(同ページ)――笑みをたたえ、去ろうとする客を止めて、話を続けるのです。

やがて主人の明快な話と、確信あふれる姿勢に心を動かされた客は、徐々に態度を改め、最後は「私が信ずるだけではなく他の人にも語っていく」(同33ページ、趣意)と決意する真の“同志”に変わっていきます。

このように、「立正安国論」が「対話」で展開されていることは、極めて示唆に富むといってよいでしょう。

“対話の力”で安穏な世の中、平和な世界を築いていく――。「立正安国」の戦いを現実の上で進めているのが、創価学会なのです。

二難の予言が的中 戦乱を回避するとの思い

拝読御文で、主人は謗法の対治を誓う客の変化を喜び、直ちに決意を実行に移すよう呼び掛けます。そして、謗法を対治しないならば薬師経・金光明経・大集経・仁王経の四経の文に照らして、七難のうち、まだ起こっていない「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二難が起こると警告しています。

主人は、北条時頼をはじめとする為政者に対し、他国侵逼難や自界叛逆難が起これば、統治の基盤である国家そのものが滅び、臣下の地位・生活の基盤である所領そのものが侵略されることを強調。その時に驚いても、もはや逃れるところもないと諄々と諭されます(御書31ページ、趣意)。しかし幕府は、この大聖人の警告を受け入れませんでした。

その後、「自界叛逆難」は12年後の文永9年(1272年)の二月騒動(北条一門の内部争い)となって、また「他国侵逼難」は蒙古襲来(14年後の文永の役、21年後の弘安の役)となって現れたのです。

「三世を知るを聖人という」(同287ページ)との原理に照らした時、「立正安国論の予言」の的中は、大聖人が「聖人」、すなわち「仏」であることを証明したものであるといえます。また、大聖人御自身が「種種御振舞御書」で、「安国論」の予言の符合は「仏の未来記にもをとらず」(同909ページ)と仰せになり、御本仏の御境涯を示唆されています。

しかし、もとより大聖人は、予言の的中を求めていたわけではありません。

大聖人が自らに迫害が及ぶことを承知の上で「立正安国論」を提出し、国主諫暁された御真意は、民衆を救済するために、「何としても未然に戦乱を回避しなければならない」との強い「慈悲」の発露でした。

「安国論」の中の予言は、法に基づく「智慧」の発露なのです。

「四表の静謐」を祈れ 自分だけの幸福はない!

大聖人は、本書の予言と警告の結論として、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(御書31ページ)と仰せです。

すなわち「一身の安堵」――自分個人の生活の安泰、一家の幸福を願うならば、「四表の静謐」――世界の平和と、それに基づく国の安定を祈るべきであると示されています。

この一節は、為政者に対する諫暁であると同時に、学会員である私たちの実践の指標となっています。

日蓮仏法は「自他共の幸福」の実現を目指しています。それは、自分だけの幸せを求めるのではなく、他人の幸せをも祈り、行動していくという意味です。その地道な実践に日々、まい進しているのが、私たち学会員の一人一人です。

池田先生は、つづられています。

「もし、自分だけの幸せのみを願ってよしとする生き方であれば、それは、あまりにも無慈悲であり、仏法上、慳貪の罪となってしまう。また、それでは、道理のうえからも、エゴ的な生き方といわざるを得ません。自分のみならず、周囲の人びとも、共に幸せにならなければ、自身の本当の幸せはない。ゆえに、自行化他にわたる実践のなかにこそ自身の真実の幸せがある。そこに私どもが、広宣流布に、さらには立正安国に生きるゆえんがあるんです」

私たちは「立正安国」の精神を胸に、自身の深き使命を確信しながら、地域に友情の輪を広げる対話に率先していきましょう。