御書 日蓮大聖人と創価学会

日蓮大聖人の御書は、創価学会によって、仏法を実践する上で、唯一最高の糧であり指南書であるとされています。

諫暁八幡抄(2019年1月1日 新年勤行会拝読御書)

2019年1月1日の新年勤行会で拝読された御書、諫暁八幡抄の解説です。
 
諫暁八幡抄の本文

 天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ
 (御書588ページ、編年体御書1343ページ)

参考ページ:御書

拝読の手引き

 本抄は弘安3年(1280年)12月、日蓮大聖人が身延で著されました。拝読御文とした本抄末尾の内容から、弟子一同に与えられた御抄と考えられます。
 御文では、月と太陽の動きに寄せて、過去の「仏法東漸」と、未来の「仏法西還」を譬えられています。すなわち、釈尊の仏法は、インドから東の日本に伝来しましたが、末法には、日本国から昇った「太陽」日蓮仏法が西へ還り、世界を妙法の光で照らします。ここで大聖人は、世界広布の大確信を述べられているのです。
 また、釈尊の仏法が人々を照らしたのは、法華経が説かれたわずかな期間でした。ゆえに月の光に譬えられます。それに対して、大聖人の仏法は、末法の「長き闇」を未来永遠に照らしゆく大法であり、まさしく太陽の仏法です。だからこそ、大聖人は弟子たちに、いかなる大難にも屈せず、この大法を弘め抜いていくよう呼び掛けられています。
 この仰せのまま、現実に世界広布を進めてきた仏意仏勅の教団が創価学会です。地涌の連帯は今、地球を希望の陽光で包んでいます。
 学会創立90周年へ――創価勝利を開く最重要のこの時、私たちは世界の同志と手を携えながら、太陽の仏法を弘めゆく誇りも高く、喜び勇んで進んでいこうではありませんか。

9月度座談会御書の講義 持妙法華問答抄

平成29年(2017年)9月度の座談会御書の講義・研鑽は「持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)」です。

本抄では「『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ」と仰せです。

この「持つ(たもつ)」とは、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり(御書・四条金吾殿御返事:1,136ページ)」と仰せのように、成仏には欠かせない勇気ある実践のことです。

それは、学会活動における広布拡大の実践であり、妙法を根本に永遠の幸福境涯の確立を目指す唯一の道であります。

このことを、9月度座談会御書の持妙法華問答抄に学んで参りましょう。

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本書(持妙法華問答抄)について

「持妙法華問答抄」は、その題号の通り、「妙法華(妙法蓮華経)」を「持つ」ところにこそ、一切衆生の成仏の道があることを「問答」の形式で教えられた御書です。弘長3年(1263年)の伊豆流罪赦免の直後に著された等と伝えられていますが、御執筆年、宛先を含め、定かではありません。

本抄は、五つの問答から構成されており、法華経の修行のあり方について問う第5の問答では、妙法への「信」が大切であることを確認されています。

また「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465ページ)と、法華経という法が勝れているゆえに、その法を持つ人もまた勝れているのであり、法華経の行者を謗る罪の大きさは計り知れないと述べられます。

さらに名聞名利に執着することなく、法華経を信じて妙法を自らも唱え、他にも勧めていくべきことを教えて本抄を結ばれます。この最後の部分が、今回の拝読御文になります。

持妙法華問答抄の拝読御文

「寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき(御書全集:467ページ16行目から18行目)」

持妙法華問答抄の通解

久遠の仏の住む永遠の仏国土でないのであれば、それがどこであろうと皆、苦しみの世界にちがいない。生命本来の覚りの境地を離れて、何が楽しみとなるだろうか。願わくは「現世は安らかであり、来世には良いところに生まれる」と仰せの妙法を持つこと、それのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。是非とも全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるが良い。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)について

日蓮大聖人は、「寂光の都」「本覚の栖」を離れて真実の幸福、楽しみはないと述べられています。

「寂光の都」とは、久遠の仏が住む清浄な国土のことです。また、「本覚の栖」とは、久遠の仏の覚りの境地を意味します。この境地は、本来、あらゆる生命に具わっています。

法華経以外の権大乗経には、阿弥陀仏などの仏が登場しますが、それは現実を離れた、別の国土に住むとされた仏です。ゆえに、そうした仏に救いを求めようとすれば、苦悩の現実を離れてその仏の国土に行くしかありません。

これに対して、法華経如来寿量品の仏は、この娑婆世界(=苦悩が充満している人間社会)で説法教化し続けると説かれています。どこか別の場所に仏国土を求めるのではなく、この娑婆世界の中に出現して教えを説き続けることが明かされているのです。

「苦悩に満ちた現実世界」が、そのまま「寂光土」に――これが、「娑婆即寂光」の法理です。

「御義口伝」に、「此を去って彼に行くには非ざるなり(中略)今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(御書781ページ)と示されています。

苦難、苦悩を避けることなく、自身に本来具わっている仏の生命を開いて、今いる場所を

「寂光の都」に変えていく。そのための直道が「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧ん」(同467ページ)という実践なのです。

「現世安穏・後生善処(げんぜあんのん・ごしょうぜんしょ)」について

「現世安穏・後生善処」とは法華経薬草喩品第5の文です。法華経を信受すれば、現世は安らかであり、来世には善い所に生まれるとの意味です。

法華経の説法の会座ではここに至るまでに、最も尊貴な仏の生命があらゆる人々に具わっているという教えが述べられ、それを聞いた舎利弗や迦葉らの弟子が釈尊の教えの真意を理解します。続く薬草喩品で釈尊が、弟子たちの理解した妙法の功徳の偉大さを示します。「現世安穏・後生善処」は、この中の一節です。

私たちの仏法における安穏は、生活、人生の上で波風が立たない平穏なことをいうのではありません。一生成仏を目指す仏道修行の過程にあって競い起こる三障四魔、三類の強敵を乗り越える確固たる自身を築く中にあります。

日蓮大聖人は「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり」(御書1143ページ)と仰せです。また御書には「所詮法華経を弘むるを以て現世安穏・後生善処と申すなり」(825ページ)と示されています。妙法根本に広布に進むこと自体が、「現世安穏・後生善処」の証しなのです。

妙法を持ち広布の実践を貫く中で、永遠にわたる安穏の境涯が確立されることを心に刻みましょう。

自行化他(じぎょうけた)について

日蓮大聖人は本抄の結びで“全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるがよい。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである”(御書467ページ、通解)と述べられ、「自行化他」の実践が大切であることを示されています。

「自行」とは、自分自身が妙法の利益を得るための修行であり、具体的には勤行(=読経・唱題)です。

これは、私たち自身の生命に、大聖人と同じ智慧と力を現すための実践であり、大聖人の仏の生命が顕された御本尊を信心根本に拝していくことで、大聖人と同じ仏の境涯をわが身に開くことができます。

「化他」とは、周囲の人に正しい信心を勧める折伏・弘教です。広宣流布のために、私たちが励んでいる学会活動も、この化他に入ります。

大聖人は「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同1022ページ)と教えられています。

自ら題目を唱えるとともに、人々の幸福を祈り、対話を重ねていく――この行動の積み重ねの中でこそ、自身の胸中に揺るぎない仏の境涯が築かれるのであり、“今世に人間として生まれてきた最高の思い出”を刻むことができるのです。

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相手の幸せ願う真心を伝えること(池田先生の指針から)

日蓮大聖人は、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と仰せになっている。自行化他の信心に励み、人びとの幸せを願い、仏法を教え、友を励ましていく。それこそが、今生人界の思い出となると言われているのだ。

人間として生まれ、正法に巡り合えたからこそ、広宣流布の大偉業に連なり、人びとに仏法を語って、地涌の菩薩の使命を果たしゆくことができる。そう自覚するならば、学会活動に参加できることに、無上の喜びを感じざるを得まい。

そして、どれだけの人に法を説き、発心を促し、人材を育てていくか――そこに人生の最高の充実があり、それは、そのまま永遠不滅の光を放つ生命の財宝となるのだ。

(以上、2016・2・27付、小説『新・人間革命』常楽48より)

妙法をどれだけ弘めたか。その歴史は、後になるほど光る。

人生、いろいろな思い出があるが、折伏が何よりの金の思い出となる。積極的に行動し、交流することだ。それが折伏に通ずる。

御聖訓に「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同467ページ)と仰せの通りだ。生命の法則に則った無上の行為であり、永遠不滅の思い出である。

(以上、12・2・5付、「名誉会長と共に 今日も広布へ」より)

友人と真剣な対話を重ねても、感情的に反発されたり、なかなか仏法を理解してもらえないと悩む友もいるだろう。(中略)たとえ、思うような結果が出なくとも、くよくよする必要は全くない。

私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのか――その繰り返しだった。

誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇をかんだ悔しさ、悲しさも、今は懐かしい。

「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(同467ページ)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。

(以上、『随筆 対話の大道』より)

※ 池田先生の指針の参考文献:2017年5月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」37ページ~39ページ(聖教新聞社

7月度座談会御書の講義 乙御前御消息

平成29年(2017年)7月度の座談会御書は「乙御前御消息(おとごぜんごしょうそく)」です。拝読範囲冒頭の「いよいよ強盛の御志あるべし」こそ、日蓮大聖人の仏法における信心の根本姿勢です。そして、そこにこそ学会精神があります。

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本書(乙御前御消息)について

本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)8月、身延で認められ、乙御前の母(日妙聖人)に送られたお手紙です。本抄末尾に「乙御前へ」と記されているので、「乙御前御消息」と呼ばれています。

乙御前の母は、鎌倉在住の女性門下で、夫と離別していました。しかし、乙御前という幼い娘を育てながら、竜の口の法難・佐渡流罪の渦中にも、純粋な信心を貫いたのです。

本抄御執筆の前年10月には蒙古の襲来(文永の役)が起きました。さらに本抄御執筆の年の4月には蒙古の使者が再び訪れるなど、世情は騒然としていました。そうした中、乙御前の母は変わらぬ求道の一念を貫き、身延の大聖人をお訪ねしたのです。

蒙古の再びの襲来が懸念され、世情が乱れる中で認められた本抄は、いよいよ強盛に信心に励むことを呼び掛けています。

乙御前御消息の拝読御文

『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり(御書全集1221ページ4行目~6行目より引用)』

乙御前御消息の通解

ますます信心を強盛にしていきなさい。氷は水からできますが、水よりもいっそう冷たいものです。青い色は藍という草から生まれますが、重ねて染めると藍よりも色が鮮やかになります。同じ法華経ではあっても、信心をさらに深め、実践を重ねていくならば、他の人よりも輝きが増し、利益もはっきりとあらわれてくるのです。

「志をかさぬれば」について

拝読御文は「従藍而青」の例えを通して、ますますの求道の心で信心に励んでいくことを教えられています。

「従藍而青」は、古代中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍よりも青し」との言葉に由来します。「従藍而青」を、日蓮大聖人は本抄で信心の修行を重ねていく例えとして用いられています。

藍は、青色を出すための染料になる植物であり、その葉は緑色です。この葉から採れる染料に、布や糸を漬けて染める作業を重ねていくと、鮮やかな青に染まります。

大聖人は「上野殿後家尼御返事」でも、「従藍而青」に触れられています。ここでは、「法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書1505ページ)と示されています。

これらの比喩では、成仏の原理が説かれている法華経を、藍に例えられています。さらに、修行の深まりは、藍から採った染料に何度も染められた布や糸が、ますます青くなるようなものであるとされています。

法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯となるのです。

本抄を頂いた乙御前の母は、これまでも強盛な信心に励んできた門下です。その乙御前の母に、ますます信心を奮い起こしていくよう大聖人が教えられているのは、仏法の修行にあっては、“今から、これから”という求道の心で前進することが、常に肝要となるからにほかなりません。

御聖訓にある通り、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益も現れてくることは間違いありません。

後継の人材を育む ということについて

「従藍而青」の言葉のそもそもの意味は、“教えを受けた人が教えた人より優れること”です。

南条時光に与えられた「上野殿御返事」(御書1554ページ)で、日蓮大聖人は「従藍而青」を“後継者の成長”の例えとして用いられています。

時光の父・南条兵衛七郎は、日蓮大聖人に帰依してほどなく亡くなりました。時光が7歳の時です。それから14年後、時光が父の後を継いで立派に成長し、見事な信心に励んでいる姿を喜ばれた大聖人は、次のように時光をたたえられました。

「亡くなられた上野殿(兵衛七郎)こそ、情けに厚い人と言われていたが、(南条時光は)そのご子息であるから、父のすぐれた素質を受け継がれたのであろう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆している。ありがたいことである。ありがたいことである」(同ページ、通解)

ここでは、父・兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に例えられています。

時光は、熱原の法難の際にも、信心根本に難に勇敢に立ち向かい、師弟の道を歩み通しました。

“後輩を自分以上の立派な人材に育てていこう”――これが、創価学会の人材育成の伝統です。慈愛と真心の関わりで後継の人材を育むことが、確かな広布の未来を約束するのです。

日妙聖人 とは

日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられていた渦中、乙御前の母は、やむにやまれぬ思いから大聖人のもとを訪れました。大聖人は、こうしたけなげな信心をたたえて、佐渡の地から乙御前の母にお手紙を送られています。

その中で大聖人は「いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を」(御書1216ページ)と仰せになっています。

乙御前の母の求道の振る舞いが、過去のいかなる行者にも劣らぬ立派なものであると称賛されているのです。

さらに大聖人は、「日本第一の法華経の行者の女人なり」(同1217ページ)と述べられ、「日妙聖人」という称号まで贈られています。

乙御前の母の尊い求道心については、今回拝読する「乙御前御消息」の中でも、「かつて佐渡まで自らはるばる来られたことは、現実とは思えないほど不思議なことでした。そのうえ、このたびの身延への訪れは何とも申し述べようがありません」(同1220ページ、趣旨)と絶賛されています。

また本抄末尾では「何かあったら私のところへ、いつでもいらっしゃい」(同1222ページ、趣旨)と、限りない慈愛で母子を包み込まれています。

乙御前の母の求道の姿勢を通し、どんな時にも師匠を求めていく「師弟不二の信心」を心に刻みましょう。

持続の信心で崩れざる境涯を(池田先生の指針から)

信心は、社会と人生の荒波を乗り越えるための羅針盤です。

濁世を生きるのであればなおさらのこと、悪縁に紛動されるのではなく、信心を自身の生命と生活の中心軸に据えていくことが肝要となります。(中略)

大聖人は、「いよいよ強盛の御志あるべし」と仰せです。信心があれば、いかなる逆境もはね返すことができる。だからこそ、一層、強盛な信心に立つことが勝利への究極の源泉となるのです。

(以上、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻より)

「いよいよ強盛」の信心があれば、「色まさり利生もある」とあるように、心身にますます力と輝きが増し、功徳もますます明瞭に現れてくるのです。

いよいよ強盛の信心を重ねることによって、私たちの生命に、金剛不壊の仏界の生命が顕現するからです。(中略)

信心の志を重ねることによって、無常のわが生命が何ものにも崩れざる常楽我浄の永遠の宝によって荘厳されるのです。その大境涯を確立するために、志を重ねることが重要となるのです。「志をかさぬれば」とは、信心の持続です。すなわち、何があってもたゆむことなく、むしろことあるごとに、いよいよ強盛の信心を奮い起こして、わが生命を錬磨していくことです。

同じ法華経への信心、同じ御本尊への信心でも、いよいよ強盛の信心を奮い起こすことによって、功徳はいやまして大きくなり、境涯はいやまして広く、豊かになる。

このことは、現実に皆さんが実感し、実証しているとおりです。

ゆえに御書では「いやましての信心」を強く奨励されている。

例えば、四条金吾に対して「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)、「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192ページ)と仰せです。また、窪尼御前にも「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(同1478ページ)、上野尼御前にも「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)と励まされています。

このように信心強盛な模範の門下にも、大聖人は「いよいよ」と仰せです。言い換えれば、「いよいよ」の姿勢こそ、信心の極意であり、根幹の要諦となるということです。

(以上も、『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻より)

参考文献:『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社

楽天ブックス勝利の経典「御書」に学ぶ(3) 乙御前御消息 [ 池田大作 ]

6月度座談会御書の講義 弥三郎殿御返事

平成29年(2017年)6月度の座談会御書は「弥三郎殿御返事(やさぶろうどのごへんじ)」です。広布の使命を果たすべき正念場に立たされた「弥三郎殿」に対し、ただひとえに思い切りなさい!「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」とのご指南をされています。

妙法を根本に「決めて、祈って、行動」することが勝利の方程式です。その一念にこそ、諸仏が入り、仏の家来である諸菩薩・諸天等が従って、法華経の行者を守護することは間違いありません。

「勝つ!と決める」信心、「全力を尽くす」信心について学んで参ります。

 

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本書(弥三郎殿御返事)について

本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。

弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。

本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。

初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。

次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。

最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。

弥三郎殿御返事の拝読御文

『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり(御書全集1451ページ10行目~12行目より引用)』

弥三郎殿御返事の通解

ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ(戦いの要衝として有名な)宇治川を渡す所だ、今この時こそ勢多川を渡す所だと思い切りなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負の所である。

諸仏の「入其身」と悪鬼入其身について

日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。

ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。

「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智?や権力者の身に入ると述べられています。

これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。

池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ」

『ここぞ』という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。

▼講義の要点 参考サイト▼
弥三郎殿御返事 6月度座談会御書の講義|但偏に思い切るべし

瀬田川宇治川(「勢多」とは)

今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。

瀬田川宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。

例えば、寿永3年(1184年)、源範頼源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。

この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。

この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。

また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。

このように瀬田川宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。

日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。

「今年の世間を鏡とせよ」とは

拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれた建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。

すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。

疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建治4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。

『去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまったり、また、病にはかからなかった者も、心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる”(同1389ページ、趣旨)』と。

疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。

また飢饉についても、同抄には次のように記されています。

『日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉が進み、衣食は全くなくなり、畜類を食べ尽くした”(同ページ、趣旨)』と。

当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。

日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。

大変な戦いこそ宿命転換の好機(池田先生の指針から)

重大なる法戦――広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。

「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」――

思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。

戸田先生は言われました。

「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」

長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。

私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻より)

大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。

そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。

そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。

私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。

「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。

大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)

※ 池田先生の指針の参考文献:『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻(聖教新聞社

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勝利の経典「御書」に学ぶ(13) 上野殿御返事(梵帝御計事) 弥三郎殿御返事 兵衛志殿御返事( [ 池田大作 ]