御書 日蓮大聖人と創価学会

日蓮大聖人の御書は、創価学会によって、仏法を実践する上で、唯一最高の糧であり指南書であるとされています。

南無妙法蓮華経の唱題の意味するものは?

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南無妙法蓮華経はお題目と言われ、このお題目を唱える(唱題という)ことで功徳が得られると言われます。

ここでは、お題目を唱えることで功徳が得られる「仕組み」について解説すると共に、そもそも南無妙法蓮華経とは「何か?」、そして、唱題によって得られる功徳の本質について述べて参ります。

妙法蓮華経法華経という経典で、インドに生誕した仏教の始祖・釈尊が説いた教えです。仏教はインドから中国を経て日本に伝えられました。外国の教えです。故に、元来、法華経の文字や発音についても法華経(ほけきょう)ではなかったことになりますが、ここではその点には触れません。

南無(なむ)とは、帰命、あるいは帰依するという意味です。故に。南無妙法蓮華経は、法華経の正式名称である妙法蓮華経に南無が冠された言葉であり、仏教が日本に伝えられる以前から、その名目(名前)は存在しており、日本で日蓮大聖人が普及する以前から存在する言葉でもありました。

南無妙法蓮華経の実体について

民衆の根本的な苦悩の解決のために出家した釈尊がたどり着いた境地は、宇宙根源の法(ほう)を自身の生命の中に発見し、これが万人にも具わっていることを覚知したことです。

この宇宙根源の法をもって、民衆救済を開始した釈尊が晩年に説いた教えが法華経です。法華経の中で初めて、「宇宙根源の法」の存在とこれによって自身が覚りを得た(仏陀になった)ことがあかされます。

しかし、その根源の法の実体や名目については、釈尊滅後、末法(まっぽう)という悪世になってから現世に出現する「地涌の菩薩(じゆのぼさつ)」に全て託されて、明らかにはされませんでした。

釈尊の在世、及び、末法に至るまでの、正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)時代の世の中の民衆の機根(きこん:仏法をうけいれる素地・能力・釈尊との縁)は、「宇宙根源の法」によらずとも覚りに至れる機根であったのです。

釈尊の説いた数々の教えは、教えを受け入れる民衆にふさわしいものが説かれ、その内容には浅深がありました。仏法は民衆救済を目的に存在します。故に、その時々(時代)に、教えとその教えにふさわしい民衆が存在するという原理があるのです。

末法に至り、「宇宙根源の法」をもってするほかに、民衆を救済できない時代となりました。ここに出現したのが日蓮大聖人です。大聖人は、釈尊と同様に、宇宙根源の法をご自身の生命の中に覚知され、その名前が「南無妙法蓮華経」であると共に、根源の法の実体そのものであることを明かされました。

妙法蓮華経に単に「南無」が冠されたものではけしてなく、滅後末法の一大事であり、一大発見であったと言える点が重要です。

故に、今、南無妙法蓮華経のお題目を唱えるということは、「宇宙根源の法」に迫り、その音声は瞬時にして全宇宙に轟きわたるという意義が実在のものとして存在するということでもあるのです。

南無妙法蓮華経の功徳について

一般に「功徳」というと、ありがたく善き事を意味しますが、世の中には悪い事と良いことが常に同居しています。この真実を踏まえる時、功徳には「悪を滅して善を生じる」という意義があることを知らなければなりません。

仏法における善とは最極の善である「仏の覚りの境地(仏界)」であり、悪とは、根本的な三つの煩悩(ぼんのう)から発する、貪り(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろか)の境地といえます。

南無妙法蓮華経を信じて、お題目を唱える時、仏界の境地が生命の中から湧き出でて悪を滅していくのです。

日蓮大聖人の覚知された「宇宙根源の法」は御自身にも万人にも元来具わっている、とはいえ、これは、現実に顕さなければ何の意味もありません。

理不尽なことをされれば、これまで平穏であった心には俄かに「怒り」が生じます。良い傾向の「心」もまた、同様に、縁(えん:きっかけ)があってはじめて現実に顕れてきます。

そして、「仏の覚りの境地(仏界)」もまた「縁」によって顕れるものであり、その縁となるのが、唯一、「南無妙法蓮華経を信じてお題目を唱える」ことである、ということです。

故に、南無妙法蓮華経の功徳の本質とは、「仏の覚りの境地(仏界)」を湧現できること、と言うことができます。

【関連リンク】:南無妙法蓮華経の意味と功徳 の詳細な記述。

南無妙法蓮華経の唱え方(祈り方)について

「仏の覚りの境地(仏界)」から発する言葉に「如我等無異(にょがとうむい)」というものがあります。「我が如く等しくして異なること無からしめん」と読みます。釈尊が長遠な過去に立てた誓願は、仏である自身と等しい境地に衆生を導くことにあるということです。

南無妙法蓮華経のお題目を唱える時、それは、なんらかの課題や悩みの解決に向かって、南無妙法蓮華経の功徳を信じながら、「祈り」唱えていく時です。つまり、「仏の覚りの境地(仏界)」の存在を信じながら唱えていくということです。

悩む自分自身のみならず、他の人をも救っていく境地に同化していこうとの祈りになっているということなのです。

末法に入て(いって) 今日蓮が唱る(となう る)所の題目は 前代に異り 自行化他(じぎょう けた)に亘りて(わた りて)南無妙法蓮華経なり(三大秘法禀承事:御書 1,022ページより引用)」

生命を変革しゆく為の具体的な信仰実践の根本は「信・行・学」に尽くされます。信とは、信仰の対象を信じること、行とは、経典の読誦やお題目などを実践すること、学とは、仏法を学んでいくことです。

そして、日蓮大聖人は、「行」には、「自行(じぎょう)」と「化他(けた)」の両面があって、車の両輪のように、どちらが欠けても修行は完成しないと仰せなのです。

つまり、本当に功徳のある南無妙法蓮華経の唱え方、祈り方とは、自分も他人も共に幸福になっていこうとの決意と実践の伴ったものであるべきだ、ということです。

現実問題として、世の中の不幸を見逃して、自分だけの本当の幸福はありえません。

自他共の幸福のなかにこそ本当の幸福(新人間革命 大山1より引用)

日蓮大聖人は叫ばれた。「我が弟子等・大願ををこせ」(御書一五六一ページ)、「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)と。そして「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(同二六五ページ)と予見された。一閻浮提とは世界である。

世界広宣流布の実現へ、われら創価の同志は、まっしぐらに突き進む。“私に連なるすべての人を幸せに!”家族、親戚、友人、近隣、地域、職場……。人は、人の絆のなかで育まれ、成長し、学び合い、助け合って真実の人間となる。ゆえに、自分一人だけの幸せはない。自他共の幸福のなかにこそ、本当の幸福もある。

南無妙法蓮華経と初めに唱えたのはいつ?誰?の参考資料

釈尊法華経28品の説法以降から存在するといわれる「南無妙法蓮華経」について、これを「誰がいつ」唱え始めたのかに関する関連資料(リンク先)のご案内です。

歴史上最初に「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えたのは誰ですか?また、いつごろでしょうか?

歴史上はじめて南無妙法蓮華経を唱えたのは、天台大師になります。天台大師の撰述である『法華三味懺儀』には、「一心奉請南無妙法蓮華経(中略)一心奉請南無妙法蓮華経」とあります。

歴史上最初に「南無妙法蓮華経」と声に出して唱えたのは誰ですか?

日蓮大聖人と私 月水御書(方便寿量読誦事)

修禅寺相伝私注には、天台の毎日行法の日記の「読誦し奉る、一切経の惣要(そうよう)毎日一万反」の文を引用し、玄師の伝に「一切経の惣要とは妙法蓮華経の五字なり」という口伝を挙げている。

日蓮大聖人と私 月水御書(方便寿量読誦事)第七章 修行の要諦を教える

天台三大部に題目の記載の有無は?

修禅寺決:「天台大師・毎日行法日記に云く、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍」

天台三大部に題目の記載の有無